箕面の滝へハイキング 野口英世博士に出会うの巻

ひらのの家

2017/06/20

  快晴の梅雨の合間に、箕面市の「明治の森 箕面国定公園」に来ました。もちろん、お目当ては「箕面大滝(みのお おおたき)」、通称「箕面の滝」です。大阪人は、この箕面の滝に対して色々の思い出があるかも知れません。

  「箕面の滝を目指して、さあ行きませう!」 みんなで遊歩道を一生懸命歩きます。子供達は、箕面の滝を見ることが今回初めてなのでとっても期待しています。


みんなで団結して歩いていたので、少し疲れました。早々に休憩です。でも、お口は元気なのでみんな良く喋ります。お姉ちゃんやお兄ちゃんの子供たちは、年下の子供たちの面倒をしっかりみています。いたく感心しました。<(_ _)>


箕面の滝が見えてきました。木漏れ日の森の中なので、とても涼しくて気持ちの良い場所です。滝の手前には、箕面の滝の名物「もみじの天ぷら」を売っているお店も見えますね。あのカリカリッとした甘い揚げ菓子ですね。


何時もの養老の滝ではなくて、箕面の滝の出現です! (^_^;)


滝の前で、みんなでお決まりの記念撮影です。滝をバックに綺麗に撮影してね!
「滝って、英語でフォールって言うんだよ!」 「ほーるんって、投げるん? 落ちるフォークボールのこと」 「ちゃうちゃう! 滝って、大きかったらナイアガラの瀑布って言うしね」 「おっきい幕府?」 お後がよろしいようで。(^_^)


「綺麗な滝ね。時間が経つのも忘れてしまいそう!」 垂直の滝でなくて、少し斜めに流れ落ちるところが女性ぽいですね。箕面の滝は、「日本の滝百選」にも選ばれる名瀑の一つです。落差33m、幅5mの大滝ですね。
「マイナスイオンいっぱいで、お肌にもとっても良さそうだし、日頃の疲れが癒やされるわ」 しっかり美しい滝の写真と動画を撮って一服の清涼剤にしましょう。


滝の放つ轟音が辺りに響いていますが、何故か音が気にならず気持ちが落ち着く眺めです。滝口から流れ出た水は岩の間をぬって下流へと流れ下って行きます。滝を背後に感じながら、ひとり静かに水の流れを何時までも見ていたい気持ちになりますね。


みんな身体全体がマイナスイオンに満たされたので、胃袋も昼食で満たします。野外で、それもクールスポットで食べる食事は最高の味付けですね。今、体中の血液がすべて胃に集中して頭はカラッポです。でも幸せです。(^_^)


木漏れ日の森の中をさらに、遊歩道を進みます。


「唐人戻岩(とうじんもどりいわ)」と言われる巨岩の所に来ました。火照った身体をクールダウンするため、みんなで岩に手をあてて涼んでいます。 大岩が多いわと言うとさらに一層寒く、いえ涼しくなりますね。みんな分かってると思うけど、足元の濡れた苔にも滑らないように注意してね。(^_^;)


「何故、こんな箕面の山の中に野口英世博士の銅像があるの?」
  滝から流れ出た清流に沿って続く滝道から階段を登って少し森の中に分け入った所に、野口英世博士の銅像が立っています。この銅像は1915年(大正4年)、15年ぶりにアメリカから一時帰国した野口英世博士が、東京、名古屋、伊勢、大阪と母のシカと一緒に訪れた時、箕面の滝の滝道にあった料亭「琴の家」で大阪医師会の歓迎の宴が催され、年老いた母をいたわる博士の姿に感動した料亭の女将の尽力によって建立されました。そして、この親孝行の旅から4年後の1918年(大正7年)に、世界で大流行したスペイン風邪で肺炎を患い、母シカは異国の地の息子を思いながら息を引き取ります。わずか3か月の短い一時帰国での滞在が、今生の別れになってしまいました。その彼も、1928年(昭和3年)アフリカのガーナで黄熱病の研究途中に自らも黄熱病にかかり51歳の若さで亡くなってしまいます。
  
  小学校の時、図書にあった世界の偉人の伝記で「野口英世」を読んだ記憶があります。福島県猪苗代町の寒村出身で極貧の農家に生まれた野口英世が、1歳半の時に囲炉裏で左手に大火傷を負い、焼けただれた指が癒着して開けないという障害を持つことになります。幼少期から同級生のいじめを受け不登校にもなりますが、15歳の時に先生や同級生からの援助によって手術を受けることが出来、この時彼は将来医者になることを志します。昔はみんな今よりずっと貧しかったけど、日本には野口英世を始め立派な人が沢山いたんですよねえ。

  私の財布に入った千円札に印刷された野口英世博士の肖像は、樋口一葉や福沢諭吉(最近ご無沙汰してるなあ)よりもずっと価値があるかもしれません。(^_^) そして、今も白衣を着てあげた右手に試験管を持つ野口英世博士の銅像の見つめる先には、多くの若い人々の未来が見えます。
「野口英世博士の指している指先は、ライズのひらのの家かなあ?」 「もちろん、そうに決まっています!」 「でも、試験管持ってるよ!」 「手の方向だよ!」 この銅像では、手術後も不自由であった野口英世の左手は腰の位置でしっかり握りしめられていました。最後の最後まで研究者であることの生きた証しとして、そして病気に立ち向かう試験管を持つ彼の姿に胸を熱くしますね。


最後に、箕面の猿さんが登場です! 昔は箕面の滝に行きたかったけど、あの当時とても凶暴な猿軍団が怖くて有名でした。まだ箕面の森に沢山お猿さんがいた時は、傍若無人の輩が本当にゴロゴロいました。   
  その昔、滝の前にあったお店(3枚目の写真にあります)で買った「もみじの天ぷら」を猿に奪われそうになりました。私の少し前を歩いていた女性は、ハンドバックを盗られて山の斜面で中身をあさられていました。とっさに私は服の下に隠したにもかかわらず、一匹の猿は牙をむき出して私を威嚇しました。幸い後ろから大勢の観光客が来たので事なきを得る、と言ったちょっとした恐怖体験でした。(^_^;)   現在は箕面のお猿さんは天然記念物に指定されていて、たとえ道で出会っても餌を与えることは禁止されています。一万円の罰金です。


  みんなで箕面の滝を見れてとても楽しかったです。結構、歩いたので足が疲れました。でも、清流のせせらぎを聞きながら豊かな自然を満喫し、杉やもみじの木立の中を歩き森林浴でリフレッシュすることもできました。そして何よりも、野口英世博士の銅像に出会えたことも良かったです。後日、箕面の滝について母に話したところ、昔は”孝養の滝”と言われ、親に孝養(孝行)を尽くそうとする人が必ず秋の日に”紅葉の滝”でもある箕面の滝に連れて行ったそうです。渡米後15年の長きに渡り老いた母に寂しい思いをさせたことを悔いた、彼の最後の親孝行だったのですね。箕面の滝の美しさと共に、彼の人としての美しさや母をいつくしむ優しい思いを痛切に感じました。
  
  障害に打ち勝つ強さや努力、そして貧しさや親の愛情に加え友達のいじめや励ましを経験し、また流行する黄熱病の死地に自ら入りながら、敢然と病気に立ち向かった彼の勇気と忍耐力に満ちたその姿勢は、本当に素晴らしいものですね。今年2017年(平成29年)は、野口英世が生まれた1876年(明治9年)から140年にあたります。 私達ひとりひとりは、将来に何を残せるのでしょうか?  (^~^) (BY カメラ小象)


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