悲しみと喜びの旅路 〜感動のカンボジア研修〜 vol.2

ひらのの家

2017/07/07

  スタッフの一人が以前次のような話をしていました。今から22年前、大学院で経済を学ぶために妻と幼い子供と共に家族四人で日本に来ていたカンボジアからの留学生家族と知り合いだったそうです。ある日彼は唐突に、「もし君が昔のカンボジアにいたら、絶対殺されていた」と述べたそうです。その訳を尋ねるとあなたは眼鏡をかけているし、おまけに教師だからということでした。 
  事実ポル・ポト派の支配下では教育そのものが否定され、教師、弁護士、医者、僧侶、公務員、学生、留学生、芸能人などの知識階級の人々がすべて殺害され、教育システムの破壊と共に家族の形態までが壊滅状態になりました。教育の復興が学校も教員も失った状態からスタートしたため、教員の質の低下や教育格差は現在もカンボジアの社会や経済の復興の大きな足かせとなっています。

  それでは、まず小学校の訪問から始めましょう。 何故、私たちがカンボジアの小学校を訪れる必要があったのお話ししたいと思います。 少し長くなりますが、お付き合い下さい。


  カンボジアの首都プノンペンから北西に320km、バスで6時間の距離にあるシェムリアップ州の田舎の小学校を訪問しました。 広いグランドの中に小学校の平屋建ての校舎が見えますね。この小学校は、日本のNPO法人と共にライズの西原社長が協力して建てたものです。 とりわけ、西原社長は今のライズを起業することにあたって、社会貢献と国際協力を優先課題として掲げてきました。これからも遠い日本から、カンボジアにおける教育の後方支援を私たちも継続して見守って行っていきたいと思っています。

  かつてカンボジアの国王シハヌークは、第二次世界大戦後に食糧難に陥った日本に対して、寛大にもお米などの食糧援助を行ってくれました。 カンボジアの人々は困っていた私たち日本人を救ってくれました。ここに、忘れてはならない歴史があります。 飢えに苦しむ私たちの祖父や祖母、そして父や母の空腹を満たしてくれました。まさしく命の恩人ですね。

  カンボジアは1970年にベトナム戦争に巻き込まれた後も、ポル・ポト派支配(1976年から1979年)の下で戦争と内戦の混乱の時代が、1991年に平和条約が最終的に終結するまで21年間続きました。 今年で38年が経とうとしていますが、カンボジア社会のインフラ破壊、特に教育や医療や法律など人的インフラの壊滅は現在においても大きな痛手であり、復興の大きな妨げの要因になっています。

  和平協定が締結されて内戦が終結した翌年の1992年、国連による平和維持活動がスタートしました。 その復興途上の1993年4月、国連ボランティアの中田厚仁さんが銃殺されました。 彼は大阪市の隣り東大阪市の出身でまだ25歳の若さでした。 続いて5月には、国連の文民警察官として治安維持に尽力していた岡山県警の高田晴行さんも殺害されました。 33歳で亡くなった彼には、2人の幼い男の子と妻がいました。カンボジアと日本をつなぐ悲しい歴史の一ページです。


  手に包帯をした少女は、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)が埋設した対人地雷の爆発でけがをしました。周りの少女たちは、傷ついた少女を少し心配顔で気遣っています。
  世界で地雷を製造し軍事産業で莫大な富を築いている企業は今日、賠償金を支払う道義的義務を果たさないばかりか、その同じ企業が地雷処理で莫大な利益を上げてビジネスで成功しているのは皮肉なことです。 PL法(製造物責任法)が適用されれば、即アウトです! 死の商人は人の生き血を吸う、血まみれの利益を食らう化け物です。 大阪の商人の風上にも風下にも置けない輩です。 現在全世界で約1億を超える血に飢えた地雷が、75か国の地中に息を潜めて得物を狙い続けています。


  対人地雷でけがをした少女の右手です。 とても痛々しい傷跡です。戦争と内戦時代の産物として、今も多くの地雷がカンボジア全土に埋設されています。
  対人地雷は、戦車などの軍用車両ではなく人間を標的にしたものです。 この対人地雷の多くは人の命を奪うことをではなく、負傷させ障害を負わせ恐怖心を植え付けることに目的があります。 負傷兵の救助は軍事行動の手かせ足かせとなり戦意を喪失させますが、しかしその犠牲者の大半は兵士ではなく民間人や子供たちです。 現在も年間400人もの人々が死傷しています。 そのうち3割は子供たちが被害者です。
  田畑に仕掛けられた対人地雷は戦後も村の農民に恐怖心を与え続けて、食糧を生み出す田畑を無人化にして捨てさせることによって、農業を破壊し国の復興を阻害します。 この少女は傷ついた身体に加え、一生消えることのない大きな傷を心に負っているに違いありません。 そして名もなき人々の流したおびただしい血が、今も地面から大きな叫び声を上げ続けています。


  ケン玉と文房具を持つ少年。これらはライズを利用されている子供たちや、その親御さんからの寄贈品です。他にも本当に沢山の品々を届けて下さり、ありがとうございました。 みなさんのご厚意に心から感謝致します。


  白戸家の“お父さん”が表紙になった「お父さん学習帳」を持った男の子です。 これは、ソフトバンクと「ジャポニカ学習帳」で有名なショウワノートがコラボレーションした非売品ですね。 こんなところで、犬の“お父さん”にものを言わせているなんて、ファンタスティック、いやワンダフルです!(^-^)


  プレゼントの文房具やノートを持った女の子たちと私。 背後に立っているのは西原社長です。 首元のバンダナのワンループ巻きが、何故か海外青年協力隊の隊員にみえますね。 「海外中年協力隊って、今聞こえたような気がするけど!」 「多分、気のせいです。そんなこと、口が裂けても言えません。バンダナよくお似合いですよ、はい!」(-_-;) 


  教室内で私、子供たちと楽しく弾けています! 自分でもこんな笑顔になれるなんて、正直不思議で〜す!「自撮りだから、もっと近づいてね! でも私のドアップはNGだから、手振れ補正は解除しとくわね。でも美肌機能はオンにしときましょう!」


  どこの国にも彼のようなタイプの子は必ずいますね。 満面の笑みで、一番はっちゃけた男の子です! 今回の旅行で、私の一番お気に入りのベストショットです! 手前味噌ですが、この写真をコンクールに応募したら必ず賞がとれそうな気がします。


  「らくがきもいいけど、しっかり勉強してね」 プレゼントのらくがき帳を持つ男の子に、日本語のらくがきの意味を言うべきかちょっと考えました。 「やっぱり勉強も大事だけど、好きなことを自由にノートに一杯書いてね!」


  教室内で歯ブラシを使った口腔衛生の指導を保健師さんが行っているところです。 口腔ケアは、大切な口腔の疾病予防や健康保持の目的があります。 彼女もそうですが、どの子もみんな真剣な表情でしっかり聞いています。 現在カンボジアでは医療従事者も絶対数が不足しているため、多くの日本の医療関係者が援助活動をしています。 ポル・ポト派の支配下において知識階級の象徴である医者も、徹底的にすべて殺害されてしまったことが大きな要因になっています。


  校舎前にてみんなで一緒に記念撮影です。 「みんな笑って下さ〜い! はい、マルチーズ! (^.^)」 みんなのその笑顔に、これからのカンボジアの明るい未来がかかっています! 
  普段なら何でもない光景なのに、知らないうちに何故か涙と感情が溢れてきました。 キラキラ輝く笑顔の素直で純粋な子供たちに接していると、涙で自然と私の心が洗われる気がします。 訳もなく涙がぽろぽろ溢れてきてとまりませんでした。 私の涙腺がとても弱くなってしまったのか、普段泣きたい時に強がってしまって心からしっかり泣き切れていないのかもしれません。 日頃自分でも気づかない私の繊細な心が、純粋な涙によって一層綺麗に洗い流されていくようです。 (美^~^美)


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